2010年11月2日火曜日

伊達政宗 記(31) 名刀の砥石(といし)

 百万石は取消しにはなったものの、伊達家は取り潰されもせず、新城築城も許可され二万石の増封となり六十万石となった。

 関ヶ原の役のあと、百万石を超えて残るのは、加賀の前田だけで、そのあと六十万石級には、初めから家康の味方をする気で出て来ていた薩摩の島津と、家康の婿の蒲生の伜秀行、そして伊達政宗を加えて三人。
 その他に、

 福島正則 清洲 二十万石   → 広島 四十九万八千石
 黒田長政 中津 十八万石   → 福岡 五十二万三千石
 池田輝政 吉田 十五万二千石 → 姫路 五十二万石
 藤堂高虎 板島 八万石    → 今治 二十万石
 加藤清正 熊本 三十二万石  → 同  五十二万石
 山内一豊 掛川 七万石    → 高知 二十万二千石

 そして西軍方では

 上杉景勝 会津 百二十万石   → 米沢 三十万石
 毛利輝元 中国 百二十万五千石 → 山口 三十六万九千石

 この思い切った新地図の構想は、家康が江戸にあって出陣を逡巡(しゅんじゅん)しているかに見えたころに、ほぼ書き上がっていたに違いないのだから実力の差はおそろしい。
 この政宗の二万石の増封は、東軍にあって随分と少ない増封となっている。


 世間では、政宗の和賀一揆の結末を、陰惨なもののように受取っている節がある。
 家康が激怒して政宗を責めたて、和賀忠親が家康に呼ばれ、江戸護送の途中、身の危険を恐れた政宗が殺害してのけたという一説がある。
 しかし、それほど残忍な政宗だったなら、後に和賀の遺児(姉妹)の生命を助けて、家臣の列に加え、五郎八姫の付女として松平家へ従わせただろうか?
 ただ、この事件のために、百万石がボコになったのと、政宗自身の考え方に一つの転機を恵むことになった事実は否めない。

 政宗は、仙台の青葉城に、家康に遠慮して天守閣は造らなかった。

 むろん、これを家康への遠慮ばかりと受取るのは誤りで、この頃から政宗は、国内で戦乱を企てるような、戦国的な規模の武将からは一歩も二歩も脱却して行く。
 その意味では、伊達家を取り潰さずに六十万石で残し、その中で仙台築城を許した、徳川家康は、政宗というすぐれた名刀を研ぎあげるための、なくてはならない砥石(といし)の役割を果たしたことになる。
 これからの政宗自身、関ヶ原の役を通じてそれを悟り、そこから、敏感に時代の推移を感じとりながら、すすんでそれに歩調を合わせて行ったと見るべきだろう。

 伊達政宗は、三十五歳にして新たな人生の転機に恵まれた。
 この一揆の失敗と、失敗を踏まえての慎重な仙台築城の時期がなかったなら、政宗は、一時は百万石の領主になっても、それ以上の磨きのない人物となっていたのではないだろうか?

 政宗の人物は、ここで更に大きく飛躍してゆく。
 自分の行手に立ちふさがった家康と自身の差が、ようやく見えだしてきたのだ。
 政宗がどうして仙台城を造りあげようかと苦心しているように、家康は、どうして新しい日本を造りあげようかと苦心している、、、

 今迄の家康は、政宗の小我の敵だった。
 しかし、ガラリと視線を変えてみると、家康は、日本のための、まことに忠実な家老にみえてくる。
 自分を家康の下と決め、その鼻を折ってやろうと、今まで小さな迷いの中であがいていたように思える。

 この悟りを、仏門では「大悟」と呼ぶ。
 問題は、ここで負けを感じるか、より強靭な鞭で己の心に当てて立ち上がるかにかかっている。
 伊達政宗は、決して負けはしなかった。
 この場合の視野の広がりは、その差を縮めてゆく次の出発点となってゆく。


 かつて政宗は、自ら豊臣太閤の腹中に飛び込んで内からこれを操縦しようとしていた。しかし、今度は、それが逆になり、一段高いところから助けながら操縦しようとしてゆく。
 (---日本のため)
 政宗は、遠慮して城に天守閣は設けなかったが、しかし、心の底へはそれ以上の巨大な塔が打ち立てられた。


 この築城は、並み大抵の規模の築城ではない。
 それまでの城とは、規模もスケールも桁違いの仙台城が出来上がるまでに、一年半もかかった。
 しかし、それが立派に出来上がった時には、実は、それ以上の規模とスケールで、人間伊達政宗がそこには出来上がっていたのだった。。。


画像:伊達政宗騎馬像 仙台城址(青葉城址)



画像:そびえ立つ石垣の様子 仙台城址(青葉城址)

 ※余談:政宗が、千代(せんだい)を仙台と改称し、仙台築城をし仙台藩を開く。 山林と沢地から伐り開かれた、この大城下街は、後に表高六十二万石に対し、実高百万石を超える、日本最大級の藩へと成長してゆくことになる。

 この仙台という地名へは、「虹の架け橋」同様に、相手をビジョンへ落とし込む、政宗の魅力が滲み出ている。
 今にも天子(天界人、仙人)が、この台地へやってきそうな印象を相手に抱かせて、その威光を放つのだ。

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