2010年11月19日金曜日

伊達政宗 記(12) 秀吉戦略 3 妻の人質


 関白秀吉の奥州仕置により、奥羽へは中央の武将も配置された。
 そして関東へは徳川家康が入る。

 なぜ中央の武将が東北へ配置されるのであろうか?
 それは奥羽の覇者政宗と、関東に入る家康を牽制していく番犬となるためだった。
 小田原征伐に到着しただけの政宗は、膨大な兵力を無傷のまま温存してあったからだ。

 ここで、政宗より妻を人質とし東西へ遠く引離そうとする。秀吉は、二十四歳の夫婦ならば当然「人質には他の者を!」と政宗が申し出てくるものと計算していた。こうして政宗を、権力の下へ屈服させていくつもりだったのだ。
 ところが、政宗はあっさりと二つの返事で引き受けている。
 「政宗はまだ二十四歳。三十歳までは妻子を忘れて、みっちりと働かねばならぬ。天下一安全な殿下のもとへお預けしたい。」
 政宗の思案は、世間とは少し違うようだ。

 政宗は、秀吉の一癖もった家臣をそのまま中央へ残しておくと、後に親戚・一族に結集され自分の立場が危うくなるのを恐れて、奥羽(東北)へ配置したと読んでいる。
 そうなると、意味は全くの逆になり、むしろ政宗と家康がその番犬となるのだ。政宗から人質を捕るということが、その一つの答えを導きだす。
 不安定な奥羽で、当然これから争いは起こってゆくだろう。秀吉は既に、その争いの種すらまいているのだ。その中で政宗が生き残ると見通していなければ、人質を捕る必要はない。


 政宗は、そんな奥羽から中央へ抜け出ていくために、妻の愛姫(めごひめ)を人質としてではなく、先陣として一人京へ攻め上らせるつもりだった。いずれ中央へ屋敷を築くための、いわば足掛りだ。これを聞き、妻愛姫の中でもまた良人の不屈の根性が湧くのだった。

 政宗の妻愛姫は、陸奥(みちのく)の政宗が日本の政宗として伸びていくため、「みちのく」の女子の強さを中央へ見せるつもりで、独り京へ人質となってゆくのだった。。。


※余談:この少し後の話になるが、中央にいる愛姫は、
政宗にとって女性外交官的な役割を果たすとこになる。
京の情勢を奥羽の政宗に知らせ、政宗を生涯よく「内助の功
として支えていたと伝えられている。




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