2010年11月25日木曜日

伊達政宗 記(5) 虹の架け橋



 奥羽(東北)はまだ小さな武将同士での、領地争いが続いていた。
 十九歳の政宗が睨んでいるのは、領地の拡大ではなく天下だった。
 奥羽での小競り合いなどに一生を費やすのは真っ平で、天下を治めるところへ立ちたかったのだ。



 政宗の奥羽平定への緒戦は、実に見事という他はなかった。

 敵武将には内通により、
 「天下平定へ赴く為、精鋭を育成しながら南下途中である。中央へ連れて行ける程の武将がいれば、天下を取り次第、一国を与えて乱世を平定してゆくつもりである。周辺にはもはや、内々でお味方を申し出ている者はたんとある。」
 と知らせておき、断ればと問われれば
 「一蹴りして押し通る。」
 と返答した。
 伊達勢は強かった。政宗は初陣いらい敗戦という敗戦を期していなかったのだ。



 それは現今でいうところの、催眠術に近いかもしれない。
 こうした催眠術師のような魅力は、もちろん織田信長にもあったし、秀吉や家康にもあった。
 自身の描く一つのビジョンの中へ、相手をコロリと落とし込む。これが英雄の条件の一つ・・・ とまでは言わないものの、こういった味をもった人物は、当今ではよく経営者などに見られるようだ。

 政宗の描く壮大な天下への虹の架け橋は、今まで「天下」からは程遠かった東北人の胸の中へ、夢の架け橋として架けられていったのだった。。。




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