信長や信玄は一三・四歳で戦場へ連れ出され、また家康のように十六歳で初陣した武将もいる。
あまり早くに戦場を知った者に、生涯をよく大成し終わりを全うした者は少なかった。
それは戦場の持っている「命」の火花と「勝利・成功」という美酒の味を知り、そこへ陶酔してしまうからだ。
それは戦場の持っている「命」の火花と「勝利・成功」という美酒の味を知り、そこへ陶酔してしまうからだ。
無責任の若者にとって、その誘惑は面白く好戦的な人格のみが育ち出し、そして求め続け、ついにその戦場で落命しなければならない運命へ、自ら突き進んで行ってしまうように思われる。
その意味では、政宗の十六歳の初陣はまことに慎重適宜と言えるのだ。
自分に自惚れる(うぬぼれる)ほど早くもなく、そして遅すぎたと言う程でもない。
この初陣をハッキリと勝利で飾った政宗は、十八歳で家督を継ぎいよいよ中央の天下を狙うべく、十九歳より戦を続けざまにしていくのだが、この十九歳になった一五八五年という年は、本能寺で信長が自刃した年より三年が経っている年にあたっている。
だが、まだ天下は秀吉・家康・北条の誰のモノとも決まっておらず、身の程知らずの小心者が全国各地で妄動の渦の中、ただ右往左往していた時期だった。。。
0 件のコメント:
コメントを投稿