前記にも書きましたが、私は宮城県出身で旧奥州は仙台藩領になります。
伊達政宗は仙台藩祖。
安土桃山時代には「独眼竜」、江戸初期には「天下の副将軍」とまで呼ばれ、その人格・才覚は他の武将と比べると、突出する程の高い評価で戦国屈指の名武将だったことを世間では知っているのだろうか?
後年になり明治天皇は、
「政宗は、武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いをはせて交渉を命じた。文武に秀でた武将とは、実に政宗のことである。」
と評しているし、江戸時代後期の歴史家・儒学者である「頼 山陽」という人物の残した漢詩には、
「曹操に匹敵するほどの文武両道に秀でた英雄は、日本では政宗だけである。」
とまで言われています。
後で詳しく書きますが、政宗は仙台領内にてガレオン船を建造し、1613年にメキシコ・スペイン・ローマとの貿易(太平洋貿易)を企画します。そして仙台藩士をヨーロッパへ派遣し、日本で初めて太平洋・大西洋横断を成功させ、その使節はローマ法王5世に謁見しました。
伊達政宗は仙台藩祖。
安土桃山時代には「独眼竜」、江戸初期には「天下の副将軍」とまで呼ばれ、その人格・才覚は他の武将と比べると、突出する程の高い評価で戦国屈指の名武将だったことを世間では知っているのだろうか?
後年になり明治天皇は、
「政宗は、武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いをはせて交渉を命じた。文武に秀でた武将とは、実に政宗のことである。」
と評しているし、江戸時代後期の歴史家・儒学者である「頼 山陽」という人物の残した漢詩には、
「曹操に匹敵するほどの文武両道に秀でた英雄は、日本では政宗だけである。」
とまで言われています。
後で詳しく書きますが、政宗は仙台領内にてガレオン船を建造し、1613年にメキシコ・スペイン・ローマとの貿易(太平洋貿易)を企画します。そして仙台藩士をヨーロッパへ派遣し、日本で初めて太平洋・大西洋横断を成功させ、その使節はローマ法王5世に謁見しました。
この時代の日本人がローマ法王に謁見した史実は、日本の外交史の中で特筆される実績であり、明治6年、維新政府の岩倉使節一行が渡欧した際、既に2世紀半前に南欧に到達していた日本人たちの資料を目撃し驚嘆したそうです。
維新政府は、欧米視察により、日本がいかに"遅れた国"であるのかを痛感し、大きな劣等感にさいなまれていました。しかし、この“日本の国際交流の先駆者”である仙台藩士の画期的な事実は、当時の日本政府を大いに勇気づけたと記録されています。
維新政府は、欧米視察により、日本がいかに"遅れた国"であるのかを痛感し、大きな劣等感にさいなまれていました。しかし、この“日本の国際交流の先駆者”である仙台藩士の画期的な事実は、当時の日本政府を大いに勇気づけたと記録されています。

では政宗とは一体どういう人物であったのか?
「あと10年早く生まれていれば、天下人だった。」と言う評論家もいます。
伊達政宗は、世の中が「国盗り」という侵略によって自らを出世させる戦国時代の末期に生まれ、「天下統一」により世の中の方向性は、「泰平」へ一つにまとめられていました。その中で、政宗は自分のもっている能力を持て余したのではないだろうか?
織田信長 → 豊臣秀吉 → 徳川家康 と時代が移りかわる度にふりかかる幾度かの危機を、相手を呑む勢いで乗り切ってゆく政宗の知略と創造性は、混乱の世を生き抜く人間の活力に満ち溢れています。
時代という強大な流れの中で、どう思考し行動に移してゆくのか。
それを「伊達政宗 記」と題して、「伊達政宗」(著書 山岡荘八)をなぞりながら、読み易く・短く・分かり易くまとめ、抜粋などをしながら、ひも解いてゆこうと思います。
「あと10年早く生まれていれば、天下人だった。」と言う評論家もいます。
伊達政宗は、世の中が「国盗り」という侵略によって自らを出世させる戦国時代の末期に生まれ、「天下統一」により世の中の方向性は、「泰平」へ一つにまとめられていました。その中で、政宗は自分のもっている能力を持て余したのではないだろうか?
織田信長 → 豊臣秀吉 → 徳川家康 と時代が移りかわる度にふりかかる幾度かの危機を、相手を呑む勢いで乗り切ってゆく政宗の知略と創造性は、混乱の世を生き抜く人間の活力に満ち溢れています。
時代という強大な流れの中で、どう思考し行動に移してゆくのか。
それを「伊達政宗 記」と題して、「伊達政宗」(著書 山岡荘八)をなぞりながら、読み易く・短く・分かり易くまとめ、抜粋などをしながら、ひも解いてゆこうと思います。
どうぞ、これから始まっていく「伊達政宗 記」に目を通していって下さい。
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