2010年11月28日日曜日

伊達政宗 記(2) 永禄十年


 政宗は、永禄十年(一五六七)に米沢城(山形)で生まれた。
 この永禄十年とは、日本ではどういう年に当たっているであろうか?

 信長は三十四歳。美濃を岐阜と改称し、『天下布武』の下、本格的に天下統一を目指すようになっていた。二十六歳の徳川家康は、長男と信長長女との政略結婚を行い、秀吉は三十二歳、信長の武将として盛名を馳せ出した頃にあたる。

 後年政宗が、
「もう二十年早く生を享けていたら、決して彼等の風下には立つまい。」
と慨嘆させたのは、この年齢差を指すものだ。

 永禄十年にはもう、既に戦国時代は終点に差し掛かり、信長を基軸とした完全実力主義の軌道は日本に敷かれ出していたのだ。

 しかし、それは飽くまで中央の話。
 東北という北の外れでは、まだ領地の小競り合いが続いている。
 そんな中、伊達という歴史ある名家の長男として政宗が産まれ落ちるのだった。。。






※画像:信長使用 天下布武 朱印



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