秀吉の、負けず嫌いと悪戯好きは、その孤独と劣等感の裏返しかもしれない。
征明。
それは、決して秀吉一人の豪語ではなく、中世の諸豪がよく口にする放言だった。
足利義満も口にしたし、織田信長も口にした。秀吉もまた、高松城の水攻めあたりから、それに近いことを口にしている。
しかし、それは、綿密に考えた計画でもなければ、誰かに実行を迫られるということでもない。いわば、日本中が意のままになるぞという、誇示的な放言であったり、夢想であったに過ぎない。
秀吉の出自は不明。しかし間違いなく下層階級の出身であり、体格も小柄で容姿はその醜さから猿と呼ばれた。そして、ただ一人の実子を失い孤独の渦の中で秀吉は、関白職を秀次に譲り、太閤殿下として明国征伐へ軍を発することになる。
足利義満も口にしたし、織田信長も口にした。秀吉もまた、高松城の水攻めあたりから、それに近いことを口にしている。
しかし、それは、綿密に考えた計画でもなければ、誰かに実行を迫られるということでもない。いわば、日本中が意のままになるぞという、誇示的な放言であったり、夢想であったに過ぎない。
秀吉の出自は不明。しかし間違いなく下層階級の出身であり、体格も小柄で容姿はその醜さから猿と呼ばれた。そして、ただ一人の実子を失い孤独の渦の中で秀吉は、関白職を秀次に譲り、太閤殿下として明国征伐へ軍を発することになる。
秀吉は、既に名護屋城(佐賀県)を築城させており、これを中心基地とし、朝鮮出兵を開始してゆく。
しかし、文禄元年の三月一日、二日前に目を患い、秀吉は京を発てなくなっていた。
第一番手 小西行長、宗義智、松浦鎮信
第二番手 加藤清正、鍋島直茂、相良頼房
第三番手 黒田長政、大友吉統
第四番手 毛利秀元、島津義弘、高橋元種
第五番手 福島正則、戸田勝隆、長宗我部元親、蜂須賀家政
第六番手 小早川隆景、立花宗茂、毛利秀包
第七番手 毛利輝元
第八番手 宇喜多秀家
第九番手 羽柴秀勝、織田秀信
更に水軍 九鬼嘉隆、藤堂高虎、加藤嘉明
別に、徳川家康、前田利家、織田信雄、上杉景勝、蒲生氏郷、伊達政宗、佐竹義宜等は、当分、名護屋にあって本営を固めてゆく参謀本部となってゆく。
三月十三日、日本の総勢が、名護屋へ向けて京を発った。
市民を挙げての歓送の中、第一軍は前田利家。つづいて第二軍は徳川家康。伊達政宗は第三軍で、前田、徳川の両将へつづいたのだ。
前田勢がとおりすぎ、徳川勢がとおってゆく。。。
しかし、市民は見物のこころに一抹の陰をおとしている。
(どうして、戦国の世の後にわざわざ明国まで戦いに出てゆかねばならないのか・・・)
そんな感傷を伊達勢が蹴散らしてゆく!民衆の歓声がその空気を一気に爆発点にまで押し上げた。
第一番には、金の日の丸を描いた旗が三十本。それが光を反射し、その周囲をパッと明るく照らした。そして、その旗持ちの出立ちはまるで歌舞伎者の行列を見るようで、具足には金の星がキラキラと光っている。
第一番には、金の日の丸を描いた旗が三十本。それが光を反射し、その周囲をパッと明るく照らした。そして、その旗持ちの出立ちはまるで歌舞伎者の行列を見るようで、具足には金の星がキラキラと光っている。
第二番は鉄砲百挺
第三番は弓五十張
第四番は長鑓百本
この鑓持ちは、径八寸、長さ三尺を越える金色のトンガリ帽子をかむり、朱鞘の太刀に銀鞘の小刀をたばさんでいる。
その帽子が長いので、それは黄金の巨人の一団に見える。
第五番が、いよいよ馬上三十騎。
これは、何れも揃いの黒鎧。馬格雄大の逸物にまたがって、大厚総(あつぶさ)の手綱を引き、なんと、黒兜には孔雀の尾をきらびやかに飾り付けているではないか!
黒と孔雀の色彩は、若芽立つ京の春に不思議な頼もしさを撒きちらし、毘沙門天(びしゃもんてん)の行列を想わせる。しかも、その背には、黄金の大太刀・九尺五寸が、金の鎖で鞍にしめくくって帯びられている。
そのあとに続く政宗は、熊毛の戦袍に日の丸の大軍扇を開いて隻眼をカッと大きく見開き、それは、そのまま魔神を見るような風貌だ。
政宗の地上に描き出した色彩の妙に酔わされ、群衆の歓呼は天地を包み出していた。
それはさながら、お伽(とぎ)の国から参陣した軍勢を想わせる大行列だった。。。

画像:仙台城址(青葉城址) 伊達政宗騎馬像
余談:これ以来、派手な装いを好み着こなす人を指して
「伊達者」(だてもの)と呼ぶようになった。
これが「伊達男」の語源となる。
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