秀吉は激怒すると共に呆れていた。
戦場近くの兵の動きは、各所から秀吉に報告されている。
小田原征伐も終わりかけになり、のこのことやって来て、しかも軍勢はたった百騎。
この戦は長滞陣に入っている。精神的にも身体的にもくたくたな状態で、やっと峠を越え安堵し始めたときだったのだ。
そこへ来て、もし政宗が早く到着していたら? あるいは数千騎という大軍勢で到着していたら? 当然このような結果にはならなかったと推測される。
もし張り詰めた戦場だったなら、感情的な判断によりその場で即斬首となっていただろう。
そしてもし大軍勢での移動なら、兵力を温存して南下する政宗へ「反逆」という疑惑をかけられたとしても不思議ではなかったのだ。
翌々日、秀吉は箱根にいる政宗のもとへ上使7人を送っている。
政宗という人物の人間視察を兼ねたこの一行は、前例のない程ものものしいものとなった。
施薬院 全宗(やくいん ぜんそう)(秀吉の外務大臣格)
前田玄以(秀吉の外務大臣格)(五大老)
色部右兵衛入道是常(しきぶうひょうえにゅうどう)
稲葉是上坊(いなばのぜじょうぼう)
浅野長政(秀吉の五奉行 筆頭)
前田利家(秀吉の五大老)
前田利長
この側近の全智をあつめた顔ぶれは、世間がすくみ上がるほどの大陣容だった。
首が危ない当の政宗の言い訳は、実に大胆でありながらも道筋が通り過ぎていた。これでは皆が納得せざるえなかったのだ。
「黒川城は父輝宗の敵討ち、そして出発前の戦については、小田原征伐後に奥羽平定をする際の前戦。混乱する奥羽を鎮静させ、さらに秀吉殿下を無事に迎えるため周囲を偵察しながら南下してきた。」
まるで全てが、関白の為に戦っている様な言い方だった。
これには長政も利家も舌を巻いた筈だろう。
(こやつ並々ならぬ大物よ!)
長政も利家もすでに五十歳を超えている。まだ二十四歳の政宗が、このとき天下を狙っていることまでは、流石に見抜けなかった。二周り以上も歳の離れた、この大胆かつ豪快な若者に対して好意すら持ちだしているのだ。
これで政宗の領地も安堵し、首も無事ですむ。それは政宗を生かしたまま使おうと思ったからだ。秀吉の目にも、長政・利家の目にも「使える人物」として映った。そして天下人の器量を見抜いた政宗の目には、秀吉は「自分を評価する人物」と映っていたのだ。
八月九日、秀吉が遂に奥羽へ入る。そして一斉に行われた奥州仕置により、政宗は黒川城(会津領)と他の所領も没収され、領地は72万石へ減った。ここで秀吉の「天下統一」の総仕上げは完了したことになる。
このとき、秀吉が政宗へ難題を吹きかけてゆく。政宗の妻を京へ人質として連れて帰ると言いだすのだ。妻の愛姫(めごひめ)は、これを聞き泣き崩れていた。
秀吉の女癖は、殊のほか悪いと評判だったからだ。。。
画像:仙台市博物館所蔵 伊達 政宗 胸像
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