秀忠のことがあってからは、政宗は又はっきりと人が変わった。
相変わらず、赤と紺と金地の三段に染めわけた華美な能衣装のような肩衣をつけて登城はしたが、もう以前のように四方を睥睨(へいげい)はしなくなった。わざと少しく背を丸め、耳の遠さを装って、無感動さを加えていった。若侍たちはそれを見て、ドク眼竜の毒が少しばかり脱けたようだと噂した。
寛永十一(一六三四)年、伊達政宗は家光の先駆として六月二日に京都に向い、七月十八日には家光に従って参内した。
これが彼の奉公納めであったことは言うまでもない。
そうした政宗の功に応え、上洛のおりの食糧や入費をまかなうためとして、近江(滋賀)に五千石の領地が改めて与えられ、正月の招待も又、前例のないものとになった。
「昨年も老軀をおしての予の先駆……その老体にこの上招待の手数をかけて済むか。他ならぬ伊達中納言、先代のお使用あった西の丸をそのまま提供するゆえ、招きたいものは大名旗本みな招いて、心おきなく、この江戸城で招宴を張るがよい。」
さすがの政宗も、この時には唸るばかりで、すぐには返事が出来なかった。
むろんこれとて、みんながみんな家光の知恵ではあるまい。柳生の知恵もあれば、土井利勝の入知恵もあろう。
いや、或いは若手の松平伊豆守や、酒井讃岐守の、家光を勝手に外出させては危険という、新しい型の知能が加わっているのかも知れない。
それにしても、江戸城内を勝手に使用して招待せよというのは、何とも味のある安全無類の計らいではないか。
いよいよ「---御前差上げ」の正月二十八日となった。
これが伊達中納言政宗の、江戸城を使っての一生一代の祝宴なのだ。
政宗自ら亭主で早速数奇屋に入って茶が始まり、お膳が差上げられた。これが、早昼食とも、朝食ともいう形で、茶事が済むと一同は書院に移り、ここで政宗は、用意の小脇差の久国と、長光の太刀を運ばせて家光に献上した。
(やはり独眼竜も権力が恐ろしい。家光のご機嫌第一で、追従してゆくつもりだったのか・・・)
居並んだ諸大名は内心がっかりした。誰にも、何処か"独眼竜"と言われるほどの気概に対するあこがれがあったのだ。
政宗は家光におだやかに挨拶し楽屋へと下がった。
(このお方も、ほんとうに老いたのだ・・・)
かつて家光が将軍職についたおり、政宗へこんなことを言い放った。
「二代将軍と予の違いは分かるか伊達中納言。予は生まれながらの将軍である。その方などに遠慮はせぬ。さよう心得ておくように。」
政宗は、大鼓をささげた観世左吉を従えて舞台の方へ廻った。これが又、派手も派手、金銀と紅白の段だらで、四段に染めわけた天王さまのお使いといった上下だった。
政宗が役者と同じように舞台に出て来て、みんなに向って丁寧に頭を下げて挨拶したのを家光は気に入った。
ところが頭を下げたあとの政宗は、そう素直に演技には移らない。
悪龍には悪龍の性根がある。そろりと小刀を抜き放ったのである。
言うまでもなく、一座はシーンと静まり返り、家光も固唾をのむ顔となった。
小刀でそっと爪を煎じ、鞘におさめ、打ち鳴らす鼓の音が能舞台ぜんたいにコーンッと響きわたる。
(成程!これが泰平の世の男比べか!)
異様な衣装と、独眼と、その凄まじい闘志に冴えた妙音とは、そこではじめて一つになって炸裂しだした。
素っ頓狂に見えた主客の衣装までが、今までに無かった能の持つ夢幻の世界をひらいて見せることになっていった、、、。
相変わらず、赤と紺と金地の三段に染めわけた華美な能衣装のような肩衣をつけて登城はしたが、もう以前のように四方を睥睨(へいげい)はしなくなった。わざと少しく背を丸め、耳の遠さを装って、無感動さを加えていった。若侍たちはそれを見て、ドク眼竜の毒が少しばかり脱けたようだと噂した。
寛永十一(一六三四)年、伊達政宗は家光の先駆として六月二日に京都に向い、七月十八日には家光に従って参内した。
これが彼の奉公納めであったことは言うまでもない。
そうした政宗の功に応え、上洛のおりの食糧や入費をまかなうためとして、近江(滋賀)に五千石の領地が改めて与えられ、正月の招待も又、前例のないものとになった。
「昨年も老軀をおしての予の先駆……その老体にこの上招待の手数をかけて済むか。他ならぬ伊達中納言、先代のお使用あった西の丸をそのまま提供するゆえ、招きたいものは大名旗本みな招いて、心おきなく、この江戸城で招宴を張るがよい。」
さすがの政宗も、この時には唸るばかりで、すぐには返事が出来なかった。
むろんこれとて、みんながみんな家光の知恵ではあるまい。柳生の知恵もあれば、土井利勝の入知恵もあろう。
いや、或いは若手の松平伊豆守や、酒井讃岐守の、家光を勝手に外出させては危険という、新しい型の知能が加わっているのかも知れない。
それにしても、江戸城内を勝手に使用して招待せよというのは、何とも味のある安全無類の計らいではないか。
いよいよ「---御前差上げ」の正月二十八日となった。
これが伊達中納言政宗の、江戸城を使っての一生一代の祝宴なのだ。
政宗自ら亭主で早速数奇屋に入って茶が始まり、お膳が差上げられた。これが、早昼食とも、朝食ともいう形で、茶事が済むと一同は書院に移り、ここで政宗は、用意の小脇差の久国と、長光の太刀を運ばせて家光に献上した。
(やはり独眼竜も権力が恐ろしい。家光のご機嫌第一で、追従してゆくつもりだったのか・・・)
居並んだ諸大名は内心がっかりした。誰にも、何処か"独眼竜"と言われるほどの気概に対するあこがれがあったのだ。
政宗は家光におだやかに挨拶し楽屋へと下がった。
(このお方も、ほんとうに老いたのだ・・・)
かつて家光が将軍職についたおり、政宗へこんなことを言い放った。
「二代将軍と予の違いは分かるか伊達中納言。予は生まれながらの将軍である。その方などに遠慮はせぬ。さよう心得ておくように。」
政宗は、大鼓をささげた観世左吉を従えて舞台の方へ廻った。これが又、派手も派手、金銀と紅白の段だらで、四段に染めわけた天王さまのお使いといった上下だった。
政宗が役者と同じように舞台に出て来て、みんなに向って丁寧に頭を下げて挨拶したのを家光は気に入った。
ところが頭を下げたあとの政宗は、そう素直に演技には移らない。
悪龍には悪龍の性根がある。そろりと小刀を抜き放ったのである。
言うまでもなく、一座はシーンと静まり返り、家光も固唾をのむ顔となった。
小刀でそっと爪を煎じ、鞘におさめ、打ち鳴らす鼓の音が能舞台ぜんたいにコーンッと響きわたる。
(成程!これが泰平の世の男比べか!)
異様な衣装と、独眼と、その凄まじい闘志に冴えた妙音とは、そこではじめて一つになって炸裂しだした。
素っ頓狂に見えた主客の衣装までが、今までに無かった能の持つ夢幻の世界をひらいて見せることになっていった、、、。
画像:水玉模様陣羽織(みずたまもようじんばおり)
仙台市博物館所蔵 市指定文化財
仙台市博物館所蔵 市指定文化財
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